赤石沢教室の実験

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

 三人称でも一人称でもない、二人称の語りが非常に特徴的な作品。あとがきによると世の中には他にもこういう二人称小説はあるらしいが、この作品の他には知らないなあ。片桐あゆみが<僕>と想像だけでもと殺害方法を考えるあたりはもっと専門的な知識混じりの考察かと思っていたのだけど、ちょっと想像すればわかるようなことを馬鹿丁寧に確認しているだけといった感じで少々期待はずれ。それにミステリとしてはそれほど期待していないつもりだったのだけど(私はミステリ作品とは相性が悪いし)、最後のオチというか謎解きはやはりいまいち盛り上がれなかった。ただ、赤石沢宗隆の過去や心理描写は妖しい雰囲気があって(乱歩作品みたいな印象。といっても乱歩作品を読んだことはほとんどないけど)なかなか楽しめた。
(以下ネタバレ)
 あとがきによると他にもこういう二人称の作品はあるそうで、その作品がどんなものかは知らないが、少なくともこの作品に限っていえば二人称の語り口調を使ったのは失敗だったのではないかと。叙述トリックを使ってるのだなと一発で察しがついてしまう。叙述作品は本来その作品が叙述とわかった時点で魅力が九割以上損なわれてしまうようなものなのに、これじゃあなあ。てっきりあゆみは脳内の別人格に向かって話しかけているように見せかけておいて、実は実際に別の人物と語り合っているというトリックなのかとも思ったが、まさか脳内別思考者は存在し、<僕>一人称を使うものは二人(あゆみの脳内の<僕>も一人と数えるとして)いるなどというたいしたひねりもない真相とは思わなかった。そもそも個人的にこういうミステリで別人格ネタを使うのはどうも好きじゃない。ファンタジーな存在ではない、現実にもありうる症例だとはいうが、ファンタジー存在と大同小異といっていいくらいミステリでは便利というか都合のいい存在になってしまいがちだし。実際この作品も<僕>に頼りたいからあゆみは理解が悪いよう自分で自分を偽っていた、というのはかなり苦しい設定の気が。